Diary

日々の活動での気づきをまとめた日記

時給

時給換算はとても大切である。

自分の時給を客観的にみる事で無駄な時間を過ごす事は全くなくなる。

自分の時間価値は大切だとは思いつつもあまり実感をできるものではない。

このように定量化して認識しやすくする事で客観的に自分の時間の使い方を見つめ直せる。

 

アルバイトは時給思考だ。経営者はレバレッジ思考である。アルバイトにとっての時給定められた給料の枠から飛び出す事はない。天井が決まってしまっている。

だが、経営者は何もアウトプットがなければ時給は低いが、その分成果を出せば出すほど給料は高くなるし、給料の天井は無い。

 

人生なんか全部自分の力量次第。大した人生を期待しなければ大した事は起きないし、大した事をやろうとすると意外な事は起きうる。

 

期待しない生き方

期待値を下げるってことはすごい大事だ。

 

気持ちをネガティブにしろって事ではない。仕事でも恋愛でもなんでも期待をしないのが重要だ。

 

人間は大体自分の脳みその良いように解釈をしてしまう生き物だと思う。恋い慕う人がいればその人から連絡がきただけで必要以上の期待をしたり、音楽プレイヤーを欲しいと思ったら、音楽プレイヤーに関わる情報が嫌に頭に入ってくる。このように自分が意識したものが途端に急に目に入り認識するようになる現象をカラーバス効果という。

 

人間の脳は自分の都合いいようにいつでもできているという事だ。

だからこそそれが顕著に強い人ほど期待した効果が出なかったときの絶望感は大きい。

 

人生なんて何が起こるのかわからない。悲観的に計画し、楽観的に行動し、悲観的に改善をするという姿勢で進もうと思った。その過程の一個一個の結果には全く期待をしない。悲劇はいつでも起こる。あくまでもポジティブでそんな姿勢でいればいざ悲観的な結果になっても全く傷がつく事はない。

 

何事にもひたむきには当たれど期待をせず後悔せず行動していきたいと思う。

終活もデジタルに

今日は主に相続を仕事とする弁護士さんと話をしていた。

相続は親族が亡くなると発生する。だからいわゆる終活と密接にかかわる事になる仕事である。

 

終活とは自分の人生を幕引きするために必要な活動である。

例えば葬式の準備、墓石をどうするのか、相続手続きなどいろんな活動がまとまったものが終活だ。

 

こういった終活もデジタル化されつつある。昔は葬儀場で直接手続きをしていたものが今はデジタルで主にweb活用で予約して簡潔できるようになっている。

 

実はおととしあたりにお賽銭もデジタルでできるようになっていたりもするのだが、こういった人間の神聖な活動に関してもなんでもかんでもデジタル化してしまう事にも自分には抵抗があったりする。

 

機械はあくまで媒体でありツールであり便利なものだけにとどまるべき、世の中の無駄な手続きを簡略にする事が機械の役割だと思う。

これからますます人間にしかできない事が重宝される時代になると思う。それは友情であったり、感情、目に見えないスピリチュアルな精神性が高いものの価値が高まっていくのではないかなと思う今日この頃です。

 

インバウンドビジネスの戦略について

今日はインバウンドビジネスについて考えがあるので書いてみようと思う。

ここでいうインバウンドとは訪日観光客である。つまり日本に訪れる外国人観光客の事を指す。

 

平成28年の3月に政府は「明日の日本は支える観光ビジョン」において2020年に4000万人、2030年には6000万人のインバウンド達成を掲げている。

 

インバウンドの観光客増加はとても大事だが上記のような数字を達成するにはITを活かした観光地プロモーションが求められる。なぜなら、訪日観光客の大半が「日本に来る前に調べるための媒体で」個人のブログが一位、SNSやオウンドメディアが上位にあるからだ。

 

なので主にインフルエンサーなどに旅館や観光地をPRしてもらうような施策は必要になる。でもただやみくもにPRすればよいという訳ではない。

そこにはしっかりとしたコンテンツ向上が必要がある。いまいちなものをいくらインフルエンサーがPRしたところでそこのホームページやサイトがあまり感情を揺さぶられない限り足を運びたいとは思わない。

 

なのでコンテンツの中身とwebページを向上させていく努力が欠かせない。

そこで生きるのがデジタルマーケティングである。インバウンド施策をするお店や旅館も考えるべき事がある。それは自分の店にはどういう層の人が来て、一人当たりの単価はいくらで、そもそもどんな媒体を見て店に来てくれたのかだ。

 

それをしっかり情報として蓄積し、分析し効果的にアプローチをしていく他ない。

 

 

 

 

 

 

戦前の労働について

最近は基礎学習を増やすという事で主に政治経済を勉強してる。

 

スタディサプリっていうアプリが凄い。月額1000円で大学受験に必要な知識や要点を網羅出来る。アプリだからといって侮れず、本当に受験頻出箇所を洗い出して基本・応用・発展とコースを分けて受講できるのがとても強みだ。

 

特に最近は戦前の労働問題について興味がある。なぜかというと国力増強に向けた取り組みをしている時の国民に対する規制があまりに現代とかけ離れているからである。

現代との明確な国政の違いを知る事によって現在の国政について理解を深めようという事だ。

 

治安警察法治安維持法違いについて皆さんは明確に答えられるだろうか?

 

治安警察法日清戦争後に制定された法律で2000年に施行されたものである。

日清戦争後となり物資が右側していた中で労働過多になっていた女性労働者のストライキなどが勃発したためそれを抑制する役割として制定された。

治安警察法は主に行動を規制する法律である。一方、治安維持法は思想を規制する法律である。治安維持法が制定されたのは1925年である。

 

簡潔に述べると治安維持法は思想そのものに抑制をかけられた。例えば上記で考えると治安警察法の時は労働者達が工場長にむかってストライキをする事でその行動に罰則をかけられていたものが治安維持法になると労働者のストライキの企てが成されたその瞬間に罰則がかけられるというものである。

 

今の日本にはどうだろうか。事実上労働に関しても自由に主張できる権利はあるが、過労が見過ごされていたり、規制が遵守されている事はほとんど無い。中小企業では違反している事が当たり前だという声すらある。

 

このような労働の規制という意味は良い意味でも悪い意味でも大きな課題を残しつつある。自分はこのような労働の権利を最適化するような仕事に取り掛かりたいものだ。

ドラゴン桜で感動する祝日

今更ながらドラゴン桜にはまっている。

とある事をきっかけに元暴走族、東大出身の弁護士桜木によるの指導を基に偏差値30の高校生6人が東大合格を目指して特進クラスの中で奮闘するドラマである。

 

今回心に残ったのは第9話の水野という生徒が一人親である母が脳梗塞で入院して苦労している最中に特進クラスの説明会に親に無理やり来させられげんなりしている中学生を見て桜木に対して言った言葉である。

 

「志望する高校が自分でも決めないのは親が真剣に考えてくれているから真剣にならなくていい。困った時に親が助けてくれるから心配しなくていい。皆心の中でそういう風に甘えているんじゃないかな?」

 

この言葉には本当に考えさせられた。子供が自立できない理由それは親への依存だと思う。結局、小さいころの子供は大半が親というありがたい存在によって生活ができている。

 

小さなころから甘やかされていればいるほど、その支えがなくなった時に子供は一人では何もすることが出来なくなる。だから教育というのは生徒が自立できるような心を養う事が重要になる。

 

僕も小さいころから甘やかされた方だったので親元から離れて親がしてくれた事の有難さを過去で一番実感しています。早く一人前になって親孝行にしなければと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

利己的な遺伝子

利己的な遺伝子という本を少し読んだ。

この本はリチャード・ドーキンスというイギリスの科学者が描く生命の定義について考察している本である。

 

面白かったのはダーウィンの進化論のさらに具体的に掘り下げていった前提を覆すような文面だった。

 

「人間はなぜ生きるのか?」というとても難しい問いに対して最も合理的に感情論抜きで答えていたかと思う。

 

結論を述べると人間は遺伝子のために生きている。という考え方するのがリチャードドーキンスの考え方である。

 

人間の基となるものは自己複製子という遺伝子であった。これが生命の起源であった。もともと全て同じ形をしていたはずの自己複製子が時が経るにつれてそれぞれが適者生存のために個体を強く最適化していくというところが進化論の始まりだそうな。

 

この複製子も周りが成長するにつれてどんどん膜を覆って外部からの圧力から守れるようになったり、しまいには身体というものを生み出すように進化していく。

 

つまり、人間は遺伝子そのものの乗り物であり、遺伝子による製造機械だという事になる。もっと深く言うと人間が生きている理由はこの生命の起源とされる自己複製子そのものを生き永らえさせるためだ。

 

遺伝子というそれぞれの感性や理性が基に身体があるという考え方ではなく

種を繁栄させるという語り継がれてきた常識の前提を覆すような事である。本当に面白い。